スケジュール リンク集

■ 設立の経緯

アイススケート部の歴史は古く、昭和23年にまずフィギュアスケート・アイスホッケーの2部門で創部した。さらに昭和28年にスピードスケート部門が発足し、氷上3部門がひとつの部として活動するようになった。そのうちアイスホッケー部門が昭和30年に独立したため、現在はフィギュアスケート・スピードスケートの2部門で活動を行っている。その後間もなく昭和33年に発足したOB会は、後に「氷友会」という名称で、常に現役部員を支援し、部の活動その発展を支援してきた。現在はその規模を徐々に拡大し、150名を超える大所帯になっている。 競技種目のうちフィギュアスケートは、音楽にあわせ、ジャンプ・スピン・ステップ等を取り入れながら規定の時間で技と芸術性を競う採点競技である。もうひとつの競技種目のスピードスケートは、1周111.12mのスケートリンクを時速50km以上で滑走してタイムを競い、一瞬の駆け引きで順位を競うスプリント競技である。以上のように2つの競技の性格は全く異なるが、同じ氷上競技として各部員がアイススケート部という1つの部で心をひとつにし、冷たい氷の上で熱い闘志を持ち、。現在も日夜練習に励んでいる。

■ オリンピック選手を多数輩出

当アイススケート部は創部からほどなく輝かしい実績を挙げてきた。まず1955年(昭和30年)頃からフィギュア・スピード両部門とも関西学生選手権優勝等の実績を挙げ、一躍関西でも名だたる名門校になっていった。その後も着実に実績を積み上げ、関西のみならず日本中にその存在を知らしめた。個人記録においてはまずスピードスケートの千星敬三が、1957年の第4回から第7回の全日本インドアスピードスケート選手権大会において連続優勝している。また飯田恭三も1960年の第7回大会で千星に続き2位に入り、全日本の1位・2位を関西大学アイススケート部が占めた形になった。フィギュアスケートでは、佐藤信夫が全日本フィギュアスケート選手権大会で前人未到の10連覇(1957年25回大会〜1966年34回大会)の快挙を達成し、1960年のスコーバレイ、1964年のインスブルックの冬季五輪競技大会をはじめ、世界選手権や数々の国際大会に出場し、国内外で多くの実績を挙げた。日本人で初めて3回転ジャンプを成功したのも彼である。また選手育成にとどまらず、現在日本フィギュア・スケーティング・インストラクター協会の理事長職も務めており、指導者を育成する立場としても見本の第一人者的存在である。佐藤信夫夫人である佐藤久美子(旧姓 大川)も佐藤と同様、当部出身の冬季オリンピック経験者である。1966・67年の第35・36回全日本フィギュアスケート選手権大会で優勝した。1964年インスブルック・1968年グルノーブルの2度の冬季五輪競技大会にも出場した。以上のようにインスブルック冬季五輪競技大会には佐藤と大川、二人の関西大学アイススケート部のスケーターが出場し、その輝かしい歴史は現在に至るまで引き継がれている。

■ 夢のアイスアリーナ建設

関西大学がアイスアリーナ建設を正式に決定したのは、長いクラブの歴史の中でも大きなエポックメイキングのひとつである。国際競技規格の通年型アイススケートリンクが大学の敷地内に出来るのは、日本の大学としても史上初である。ウィンタースポーツであるアイススケート競技は、ここしばらく練習場所の確保に苦心していた。歴代のOBが、永年練習場所として使用していた、ラサや森ノ宮・大阪球場のスケートリンクが経営難のため次々と閉鎖され、練習場所の絶対数が激減、残存しているスケートリンクも一般滑走者や他大学の選手達に混じって行わざるを得ず、混雑している状況でとても満足できる練習は出来ない状態であった。また、練習場所であるスケートリンクまでの移動に関する時間的・経済的負担も多かった。創部以来、それが原因で学業との両立が不十分になったり、十分な練習量を確保できなかったりした。またそれができずに部を辞し、部員確保に頭を悩ましたことも数多くあった。関西大学アイスアリーナ建設により、これらは解消されることになった。これで十分な練習場所が確保でき、また学内の敷地内という恵まれた立地条件であり、移動時間の短縮も実現された。さらに練習場所確保のための経済的負担も殆ど解消されることになった。平成17年度現在のアイススケート部の部員は19名(フィギュア部門15名・スピード部門4名)、うち女子部員は9名である。そのうち日本人男子でただ二人という、世界ジュニア選手権優勝という輝かしい実績を持っている選手が両名とも在籍している。その一人である高橋大輔は2002年に世界ジュニア選手権優勝という、日本人男子初の快挙を成し遂げた。入学後も全日本選手権や国民体育大会をはじめ、トリノ冬季五輪競技大会8位など数々の優秀な戦績を残している。また、2005年、2007年のユニバーシアード冬季競技大会でも連覇し、多くの国際大会でも活躍している。織田信成も高橋大輔に続き、2005年の世界ジュニア選手権を制している。織田も高橋と同様、顕著な成績を残し、その技術は世界でも高い評価を得ている。以上のように、世界を制した選手が二人も同時に本学に在籍中である。これは日本のみならず世界的に見てもこの様な大学はほとんどない。フィギュアスケート界において、関西大学の名は日本のみならず世界に知れ渡っている。またスピードスケートの水田英美子、フィギュアスケートの平井絵己はともに女性アスリートで、全日本ジュニア選手権出場の実績を持ち、女性アスリートとして男子選手に負けない戦績を残している。そのほかにも、2003年度から実施されているスポーツ・フロンティア入試制度により、優秀な選手が続々と入部・活躍しており、また大学入学後にスケート競技を本格的に始めた部員も、高い目標に向かって日夜練習に励んでる。関西大学体育会アイススケート部はしばらく冬の時代にいた。時には部員の減少に歯止めがかからず、部の存続も懸念された時期が何度も訪れた。しかしながら現在、優秀な選手が多数在籍し、実績を残している。練習環境も日本一というレベルである。OB会である氷友会の会員も、創成期を支えてきた者から卒業間もない者まで、世代間の隔たりなく一致団結し現役部員をサポートしている。この様な状況の下、関西大学体育会アイススケート部は今まさに黄金時代を迎えつつある。